なんというか・・・
表現したいものがなかった
進むべき道がわからなかった
何をしたらいいかわからなかった
答えを求めていろんな本を読んだ
雑誌 自己啓発 物語小説
それらはただ文字通りの意味でしか無い
僕自身の偏見で解釈するしかなかった
だからマイナス思考に陥っていた状態でどれほどの文字を見てもマイナスにしか作用しない
この状態がどれほど怖いかは僕の人生が物語っている
2度の挫折 今年で25歳 フリーター(無職)
また同じ過ちを繰り返そうとしていた僕を救ってくれた恩師に感謝
∧
絵に枠組みなんて存在しない
それは美術作品と呼ばれるものであったり、ポスター、サブカルチャー、マンガ、イラスト、芸術 なんでもそう
作品はただ作品であってそれ以上でも以下でもない
自分の意思であったり、表現したいもの・伝えたいものでもあるし
自分そのもの
そんな作品を漫画だのイラストだの美術だのと決め付けてしまうと、作品の持つ可能性を潰してしまう
自分の可能性を
もちろん説明をするときには便宜上、枠組みというものを借用することは仕方ないと思う
問題なのは人間が自分勝手に都合よく作りだした常識的な枠組みという言葉に作品を閉じ込めてしまうこと
枠組みを取っ払うことによって新しい何かが発見できるかもしれない
∧
相変わらず、絵を描く時間を本を読む時間に費やしています。
何度も言ってる(と思う)けど、カラッポの頭でいくらモノを考えても、カラッポの回答しか出てこない。
ならばまずは頭の中を満たす必要がある。
それは美的センスであったり、”いいもの”であったり、表現・創作の仕方、物語、知識・教養etc…
これは描いても身につかないもの。
もちろん描かなきゃ身につかないものもあるけど。
・・・描かないとか言っときながら静物デッサンだけはしているという(ぁ
描いていると言うより感じ取る、のほうが正しいかも。
描いてることには違いないけど、その言葉の意味だけで捉えられてしまうのはちょっと不本意。
そのものを見極める・頭の中で構築する・表れたものとそのものを感じ取る。
ひたすらこの作業。
いや、創作にもなる、かな・・・わからん。
どっちにしろ、それが僕の作品であることには変わりないこと。
習作でも練習でも作業でも、僕の手で生み出したものは全部僕の作品でもあるし、僕自身でもある。
自分の意志を投影するものだから当然
作品=僕
それを落書きだなんて言うのは作品に失礼だし、自分の顔に泥を塗ってるようなもの。
よくわからないけど、そこに突破口がある、とも思えた。
それになにより、屈強な意思や洗練された概念が無いモノを生み出すという責任を負えるほどの人間じゃない。
だから本を読む。
いつか描くであろう作品を、胸を張って僕の作品であるということを大きな声で、誰に対して見せても恥ずかしくないと言える日が来るまで。
ただひたすら本を読む。
ずっと。
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